こんな考え・作り方で野菜を作っています!         「山のなか農園」HOME

就農する前は、農業の「の」の字も知らないサラリーマン家族だった私たち。
2年弱研修したとはいえ、とある有機農家でただ手伝っていただけなので、技術的・知識的にはほとんど素人のままかもしれません。
でも考え方だけはしっかりともたないといけない、もっているからやっていけるんだと思っています。

<考え方> 1.営農全般  2.販売(健康的食生活の提供) 3.小農のススメ
<作り方> 1.ぼかし肥について 2.わらマルチについて  
<思い> 1.「子供と野菜」  2.「おいしさより安心」
「畑に入る肥料を完全公開!」

 

  <考え方>  

1.営農全般

私たちは「安心・安全」「健康」そして「自然との共生」をモットーに、野菜を作り、
この地球の(ごくごく一部ですが)環境保全に貢献していくつもりです。
栽培方法はいわゆる有機農法。簡単にいえば、人と自然に大なり小なり害を
及ぼす農薬や化学肥料は、一切使用せず、自然から生まれ自然に帰るもの
(腐葉土・堆肥など)を用いて栽培し、人と自然の健康を求めるものです。


将来的には当農園内で、栽培に必要なもの(鶏糞・わら他)をなるべく自家調達し、
自然循環的かつ複合的農業を実現する「われらの自然村」を作りたいと
思っています。


畑横の道をしばらく上り、その脇にある落葉の吹き溜まりで
落葉や腐葉土を集めているところ。ここのように昔、沢があった
窪みにいい腐葉土があるんです。

就農当時に畑一面に牛の堆肥をまいているところ。
何週間もの間、来る日も来る日もまき続けて、腰も2回痛めました。
堆肥は近くの酪農家に分けていただきました。有機農家としては
堆肥におがくずではなくワラが混ざったものを使うべし。

2.販売(健康的食生活の提供)

販売に関する考え方ですが、結局は「どういう農業をするか」につながることです。その思いを「河北新報」(宮城最大手の新聞)
に、軽い気持ちで投稿したら、
掲載されました。(平成16年2月25日朝刊)その文章の原文をご紹介します。

タイトル
「農業者として心掛けていること」
サブタイトル(見出し)
「健康的な食生活を提供したい」

 それぞれ関西・関東で生まれ育ち、都会で平凡な会社員生活をしていた私たち夫婦が、家族の
人間らしく、いきいきした生活を求めて、全く縁のなかったこの宮城県に就農し、無農薬の野菜を
作り始めてから、もうすぐ2年になります。
 当初、農業のことを全く知らない私たちに、同じく農業を知らない親や友人は「このご時世に農
業でやっていけるのか?」と首をかしげたものでした。2年弱の農家での手伝いの後、畑を作り
始めたのが、一昨年の春。そしてその夏に初出荷。ずぶの素人だった私たちが、立派に収穫し
出荷できただけでもうれしいのに、お客さまから「おいしい」といわれた時は何ともいえぬ喜びを
感じました。ゼロから始めた農業ですが、少なくとも一歩二歩は進んだかな、というのが今の状況
です。今回は、出荷を始めた頃から思い始め、心掛けていることについて、述べたいと思います。

 それは、農業者というのは、ただ「おいしい」「安心できる」ものを販売するだけではなく、「健康的
な食生活を提供する(販売する)」という考えが必要ではないかということです。私たちは無農薬の
野菜セットを毎週お客さまにお届けしています。毎週お届けするからには、お客さまとの継続的な
お付き合いが必要になります。そのために鍵になるのがこの考えです。
 最初からそんな考えがあったわけではありません。ある日、お客さまから「隔週配送はできない
か?」と聞かれたのですが、その際、いろいろ考えたのがキッカケでした。お客さまの要望(隔週)
に応えるべき、と思いつつ、「忘れた頃(隔週)に配送が来る」のではなく、「その家庭の食卓に入り
込んで(毎週)こそ、継続する」「毎日食べてもらってこそ、お客さまの体に変化(健康)がある」と
思い、結局、隔週配送は受け付けませんでした。
(※) その時から、この考えが出てきたわけです。
野菜販売業ではなく、健康的食生活提供業と自分では名付けています。なぜ毎週配送か?だけ
でなく、品数は多くないか?という疑問に対しても、これで頭の整理がつきました。実際に始める
前は「毎週は・・・」「量が多そう・・・」と言っていたけれど、「今は配送が来るのが楽しみ」と言って
くれるお客さまもいます。具体的な取組の成果かと思います。

 では「健康的な食生活の提供」とは何か?それは「おいしく安全な野菜をより多く食べる必要性
に気付き、その習慣を付けていただくことにより、心も体も健康に」という感じでしょうか。食卓や食
生活が変わる(食材だけでなく、手作りすることによる愛情など)ことにより、自然環境も含めた
さまざまなことが変わってほしいという願いもあります。また、「お母さん!お子さんに愛情と健康を
与えてますか?」と投げかけ、小さいお子さまのいる家庭のお客さまが増えるのが理想と思って
います。私のお客さまは関東・関西が多いのですが、大都会の食生活を変えたいとの思いもあり
ます。 私は、この「健康的な食生活を提供・支援する」という考えと実行が、農業者が今後どう
あるべきかの答えのひとつではないかと思っています。それがひいては日本の農業あるいは食料
自給率向上の鍵になるのではと考えています。(普段こんな大きなことは考えてませんが・・・)

 これらの実践にはお客さまとのコミュニケーションが大事だといろいろ心掛け、頑張っている毎日
ですが、そこはまだまだ駆け出し農家、とくに生産技術については、日々修練中であります。


※→現在は受付けています。(経済的に毎週だと購入できないという人にも味わっていただく、という考えから)

3.「小農」のススメ

「小農」とは「小規模な農業」のこと。国がいう「集約した大規模な農業」だけが農業の生き残る道なのか?など、
浅い内容ながら、農業・農政・人の生活まで考えるきっかけになればと、「河北新報社」(宮城の新聞)が
開いている
HP(特集「にっぽん開墾」)にコメントを寄せました。その内容を下に抜粋して載せています。
下を読んで、何か感じるものがある人はぜひ下↓にてコメントを寄せて下さい。
    http://blog.kahoku.co.jp/kaikon/archives/2006/01/1.html#c657


「小農(小規模な農業)」について、私なりの考えを述べたいと思います。

 今後の日本の農業について、国は「担い手」と呼ぶ農業者による労働集約的かつ大規模な運営での
農業が「あるべき姿」かのように唱え、それを支援する方向を打ち出しています。「競争社会」「効率運営」
などを考えた場合、それを否定するつもりはありません。でも果たしてそれだけでいいのでしょうか?
大規模経営は大なり小なりこれまでもいわれてきたことであり、そのための機械や施設への投資に
対する返済等々に苦しんできた農業の姿やそういったハイリスクゆえに農業への志を躊躇する姿も
数多くあったのではないでしょうか?

 非農家であり都会育ちで全く農業を知らなかった私が、何とか(ほぼ)農業だけで生活できているのは、
「小農」だからこそと思っています。投資や経費を極力抑え、ムリのない経営を行う、収入は少なく、
生活は厳しいけれどもそれ以外で豊かな何かを得る、というものです。

 そして、この姿は一部の個人の生き方ではなく、日本中のより多くの人の姿になれば、と思っています。
とくに私が関わる有機農業については、ニーズは今後ますます広がると思うので、仲間がいくらでも
増えればと思っています。

 「集約した大規模」ではなく、「小規模が無限に多く」なれば、「農業・農村人口が増える」「失業・ニート対策にも?」
「山村環境の維持・保全(有機農業であればなおのこと)」「食料自給率と食育の向上」「国民の食生活だけで
なくその生活自体の変容」・・・というように個人から全体(国)へ、産業から生活へ、この国の姿が変わることに
つながる可能性もでてきます。そのためには、非効率な小農が作る産物に対する消費者の理解や低収入ゆえの
質素な生活への農業者自身の理解などが必要になってきますが・・・。

 ちょっと話が飛躍しすぎた気もしますが、上のことをより多くの方に理解いただければという気持ちと
その上での行政等による小農への支援があればと思っています。(もちろん今までのバラマキではなく、
意欲ある農業者に対して)

 以上、話が長くなりましたが、幅広くご意見等いただければ幸いです。(農政に携わる行政の方からも
是非コメント頂きたいです。)

 

  <思い>  


 1.「子供と野菜」 山の野菜便りNO.232(08.11)の一部抜粋

       〜(前文省略)〜 先日、わが家の食卓に小松菜のおひたしが出た時、子供たちは次々と手を出し、
      すぐになくなりました。マヨネーズをつけるという食べ方もあると思いますが、他の家の子供もなっぱを
      こんなに食べるのかな?とふと思いました。
      実は私が子供の時は、なっぱやトマト、ピーマン、人参が苦手でした。今も昔もありがちな子供だった
      かもしれませんが、今、自らが作っているこの野菜であれば食べられたような気がします。味だけで
       なく食感が違うと思うので、だからかなぁと考えたりします。“三つ子の魂・・・”といいますが、世界中の
      子供たちがいい野菜を食べて、好きになってほしいなぁと思います。
 

 2.「おいしさより安心」 山の野菜便りNO.253(09.08)より

        農家の人のコメントで「おいしさを追求」とか「究極の味を求めて」というようなものをみることがあります。
       その度に私は違和感をおぼえます。それは私が「おいしさ」ではなく「安心な野菜(の安定的提供)」を
       めざしているからです。極論すれば「まずくても安心な野菜」です。
        おいしさや成長のために、肥料として海のものやその他の遠くのものを使うことを疑問に思う私は

       敷地内や近くのものをなるべく使い、市販のものはあまり使いません。使う肥料も量的に少ないといえます。
       そのため成長が遅かったり、できない時はできなかったりします。そして自然の成り行きにも大きく左右され
       ます。その代わり、できた時は野菜がより自分の力で育ったという生命力やうまみが出ていると思っています。
        もちろん私もおいしいものは好きですし、お客さまにも是非と思っています。“おいしさ”といっても
       いろいろな「とらえ方」があります。私は味そのものだけではなく、「安心なものを食べているという気持ち」
       からくる「おいしさ」を提供しているつもりです。
       

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